銀色うつ時間

思い出すたび何か胸につっかえてるだけ

日本経済新聞社を退職しました

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いわゆる退職エントリ。興味のない人は閉じるボタンを。

11月末で日本経済新聞社を退職した。2年8ヶ月という短い期間だったが、素晴らしい経験をさせてもらった。

やっていたこと

日経に入社して、日経電子版のwebを新しくモダンなアーキテクチャで作り直すプロジェクトの立ち上げから参画した。これは現在r.nikkei.comというドメインから配信されている。

r.nikkei.com

結局退職までこのプロジェクトがメインの仕事になったわけだが、最後まで全く飽きることはなかった。技術的な面で飽きずに働けるということはエンジニアにとって簡単なようでいて難しいことで、それができたのは最初のアーキテクチャの設計が優れていたこと、特定のフレームワークやライブラリに過度にロックインさせないポリシー、新しい取り組みにどんどん挑戦していけるカルチャーや環境(これは単純に人手不足という話もあるかもしれない)があってこその感覚だと思う。

自分はいわばフルスタックで働いており、

  • フロントエンド
  • CDN(Fastly)
  • サーバサイド(Node.js)
  • インフラ(AWS)・DevOps

加えて、一時はPM業なども行っていた。フロントエンドでは、今でこそ当たり前になったレスポンシブデザイン、コンポーネント志向のデザインシステム、Service Workerなどを使ったPWAの実装などを実践で経験することができた。フロントエンド方面のみ取り上げられることも多いが、ハイパフォーマンスなwebアプリケーションを開発するにあたって最も大事なのはキャッシュ戦略とそれを実現する設計であり、このプロダクトを通じてそれが学べたのは大きな財産になった。単なるCDNの役割を超えたFastlyを使ったedge computingをそれなりに大規模なサービスで利用できる機会は貴重だし、利用しているプロダクトは日本を見回しても数少ないと思う。FastlyとElastic Beanstalkを使ったマイクロサービスの設計も、スケールしつつある組織とプロダクトにとってよかったように思う。フロントエンドも画面ごとにリポジトリレベルで別管理されており、分割が容易だ。前職ではCDNAWSも使った経験がなかったが、これを経験豊富な同僚のもと学ぶことができたことは自分にとって僥倖としか言えない。

@triblondon, @cssradar, @boblet, @sugimoto1981 といったとんでもなく優秀なメンバーと仕事ができたことは自分にとって糧になった。新しく入った若いメンバーたちも優秀で、下の世代から学ぶことも多かった。

リリース後には幸いにして多くの反響をもらい、PRという意味でもビジネス的にもポジティブな結果を残せた。特にサイトの速度という点に着目されたのは、エンジニア冥利に尽きるというものだ。これは自分の力というわけではなくて、優秀な同僚たちのお陰であり、更には日本経済新聞という大きな看板を背負わせていただいたからに他ならない。

サービスの大小に貴賤なしとはいえそれなりに大規模なトラフィックを有するサービスは外への影響力も大きく、自分の仕事が社会に与えるインパクトをダイレクトに感じられた。今年のGoogle I/Oやその他の海外カンファレンスで事例として紹介されたことはエンジニアとして大きな自信に繋がったし、それ以上に自分たちのサービスから配信されるニュースが日本に大きな影響を与えたり、市場を揺るがしたりすることに大きなやりがいを覚えた。

逆に言えば、システム障害で電子版が止まるということは社会に大きな影響を与えることであり、それなりの責任感も求められる。

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同僚に撮ってもらったGoogle I/Oでの一コマ。日経について@addyosmaniが話している。

ニュースメディアは社会的意義のある仕事だ。

英語について

英語に関しては、日経に転職してから初めてちゃんと勉強した。海外グループ会社から来た人間や外国籍のメンバーがいたこともあり、チームでは英語でドキュメントを書いたりMTGをしたりしていた。大学時代は語学の単位を落として留年するほどには外国語が苦手だった自分もそのお陰で、多少は上達したように思う。もちろん手放しで上達したわけではなくそれなりに努力もしたが、入社して2年後には海外の現地企業でなんとか働ける程度にはなった(もちろんまだまだ課題はあるし、全然上手くはない)。日経はイギリスの経済紙フィナンシャル・タイムズをグループ会社に持っており、彼らと一緒に仕事ができたのは他では得られない経験だった。あまり知られていないが、日経では意外にも英語を使うシーンが多い。

そういったパスが整備されていて誰でも機会が得られるわけではないが、自分から主体的に働きかけていけば機会は得られるし、会社はそのためのサポートをしてくれる。海外カンファレンス参加の機会は当たり前として、何なら海外赴任だってチャンスはある。語学に関する投資もしてくれる。

やらざるを得ない環境に身を置くこと、時節訪れる機会に手を挙げることが人の人生においていかに重要かを身を持って学んだ。

日経、あるいは非web系の大企業で働くということ

日経電子版というビジネスは、おそらく大抵の人の想像を超えるほど多くの人間が関わっている。エンジニア、デザイナ、プロダクトマネージャ、マーケター、データサイエンティスト、そして記者や編集者などがステークホルダとなる。想像の通り組織は強烈な縦割り構造が存在し、年功序列、終身雇用といった古き良き日本社会の副作用がそこかしこに内在している。そんな組織の中で仕事を進めるのはかなりのハードワークだし、上を説得するための資料づくりみたいな仕事に躍起になっている人もままいたりして(現段階でこれはある種必要なことだ)、気がつけば社内のことばかりを考えてエンドユーザを蔑ろにしがちだったりする。おそらく多くの日系大企業が同じ病理に陥っているのだろう。しかし、だからこそ。こういった組織を変えていく経験はweb業界では中々できないことだし、その先のキャリアパスも明るいように思う。本当に、ここを変えて行けなければ日本は駄目になってしまう。そのくらい大企業が日本経済に占める比率は高いのだ。前職での似たようなバックグラウンドの人たちに囲まれた会社員生活に時節望郷の念を抱くこともあったが、多種多様な職種の人と仕事をするのもある種の楽しさを覚えるものだ。

その一方で、電子版の開発組織はかなり若い組織でもある。20~30代の若いエンジニアがバリバリに活躍しているし、上層部は若い世代の感覚を理解しており、使うツールなども殆どの場面で制限がない。現状の組織では人数が少ないこともあり、個々人が活躍でき、プレゼンスを発揮しやすい。対外発表にも積極的で、過半数のエンジニアが何かしら外に向けて発信した経験があるのではないか。自分もいくつかのカンファレンスで発表したり、技術書典で記事を執筆したりした。エンジニア向けの新人研修も行うようになったし、社内isuconなども今後やっていく予定だ。

電子版をはじめとする日経のデジタル事業は、いわゆる大企業的な面と非常に若い組織という面を併せ持っている。大企業と聞いて想像するような、色々な環境が用意されている状態を期待する人には向いていない。エンジニア組織もまだまだ未熟だ。自分の理想とする環境や組織を自分の力で作り出していかなければいけない。しかしながらそれができれば、これ以上ない活躍のフィールドを与えてくれる。そういった組織を変えるべく日夜働いている同僚たちもおり、彼らを心から尊敬しているし、遅かれ早かれ古い体質から脱却していくことを確信している。

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千鳥ヶ淵が近いので花見をしながらランチなどもした

このような変革は度々起きているはず。創業140年を超える会社なのだ。

業界の話

ニュースメディアという産業は今危機的な状況を迎えている。戦後より続く紙の新聞配達という強固なビジネスモデルがいよいよ終わりを迎えつつあり、デジタルで生き残れるモデルを確立できないとその先にあるのは衰退だ。本旨から逸れるのであまりこれに反応してほしくはないが、新聞社や各種メディアが力をなくしたとき、政治の腐敗や企業の粉飾など社会を揺るがす不祥事を、一体誰が監視するのだろう。地方のしがない出来事を誰が世に出すのだろう。美術展やスポーツのパトロンは誰が?この業界は単に新聞を届けるだけの仕事ではない。

更に言うと、人件費を下げればいい話だとも思わない。儲からない仕事に優秀な人間は入ってこない。若者が憧れる仕事にジャーナリストという職種があってほしいし、彼らには高給取りであってほしい。内製によるエンジニアリングは、それに貢献する。

驚くべきことに、日経が新聞製作システムをコンピュータ化したのは1970年代だ。また、データベースビジネスもこの頃から始めている(こういった偉業を成し遂げた圓城寺次郎という人間については後日記事にする)。90年代になっても電子版の前身であるNIKKEI NETの開設や広いIPアドレス帯の取得など、日経には実は古くから連綿と続くエンジニアリングの歴史がある。そして現在も、間違いなく業界のトップランナーとしてデジタルビジネスを作っているが、まだまだ紙のビジネスの代替たり得ない。

そういった大きな業界のうねりに身を置くことは、非常に意義を感じられる楽しくやりがいのある仕事だった。

なぜ辞めるのか

いかに新聞業界が斜陽産業と言われ年功序列で若い世代が年長者よりも給料が低いとはいえ、業界トップレベルの企業ということで待遇も申し分なかった。自分の年収はここでは明かせないが、詳しく知りたい人は直接聞いてもらうなりググったりしてもらえば分かるかと思う。社内には見晴らしのいい社食やトレーニングルーム、何なら診療所まである。長い目で見たときにこの先どうなるかは分からないが、それはどの会社でも同じだと思う。

辞めるのにはいくつかの理由がある。

1つは、プロジェクトの志半ばでチームメンバが大量に離脱したことだ。様々な事情があるにせよ、組織の論理が働いたことは事実だ。その人事異動に透明性と納得感があれば、あるいは会社を離れずに済んだかもしれない。組織に所属する上でどうしても避けられないことがあるのは百も承知しているしそういった場面でも受け入れて仕事をしてきたつもりだが、僕らは会社の犬じゃない。納得は全てに優先する。

もう1つは、働いているうちにエンジニアリングだけで解決するのが難しい事柄が増えてきたことだ。これはどんな組織でも同じだと思うが、最終的に問題は技術そのものでなく、組織デザインや意思決定に依る部分になってくる。ここにエンジニア個人としてのキャリアの限界を感じていた。もちろんエンジニアとして働いていけるのに越したことはないが、自分が思うユーザに本当に提供したいもの、ビジネスのあり方を考えていくうちに、フォーカスすべきは目先のエンジニアリングではないかもしれないと思うに至った。

強調しておくが、これは会社の問題ではなく、僕個人の人生観の問題だ。

しがないCSの学位もない凡庸な技術者だった自分を拾ってくれた会社には感謝しているし、道半ばで離れることを申し訳なく思う気持ちが強い。一緒に働いた同僚たちのことは大好きだし、これからも何かしらの形で関わっていきたい。

このエントリはある程度フェアな視点で書いたつもりなので、これを見て少しでも日経をはじめとする日本のメディアビジネスに興味を持ってくれると嬉しく思う。日経では中途・新卒問わずエンジニア・プロダクトマネージャなどデジタルビジネスの人材を募集しているので、興味の湧いた人、進路を考えている人は選択肢のひとつに入れてほしい。僕に直接DMを送ってもらっても構わない。

HACK The Nikkei

Shunya Shishido (@sisidovski) | Twitter

次について

Mobile Technical Solutions Consultantとして、12月からGoogle Japanで働いている。エンジニアという肩書きはなくなったが、引き続きwebに関わる仕事をやっていくし、コードもたくさん書いていく所存。PWAやAMPはもちろんのこと、他にも面白いweb技術をたくさん世に出していきたい。

というわけでみなさん、これからもよろしくお願いします。

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